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第5話 死者は私の家賃を払う

ผู้เขียน: なつめ
last update วันที่เผยแพร่: 2026-09-03 10:41:58

扉を開けた灰乃は、玄理の手にある銀色の薬ケースを最初に見た。薄い金属の表面には床へ落ちた際についたらしい細い擦り傷が一本増えていたが、留め具は閉じたままで、無理にこじ開けられた跡もない。玄理はケースを指先で摘まむように差し出し、灰乃が受け取るまで余計な説明をしなかった。灰乃は礼を言うより先に留め具を確かめ、蓋を開いて中へ並んだ錠剤の位置を見る。自分で朝に詰め直した順番から一つも動いていなかった。

「中、見ませんでしたか」

「見てない」

「薬だとは分かったでしょう」

「ケースを振って確認する趣味はない」

玄理の返答には不快そうな色も、傷ついた様子もなかった。疑われることを当然の危険確認として受け止めているように見え、その態度がかえって灰乃を戸惑わせる。航志なら、妻に疑われたという事実を先に怒り、「夫を信用できないのか」と話をすり替えていただろう。玄理はただ、自分がしていないことをしていないと答え、それ以上を求めなかった。

「ありがとうございます」

灰乃がケースを鞄の最も深いポケットへ戻すと、玄理は短く頷いた。彼の視線が一瞬だけ灰乃の切れた唇へ向いたが、誰にやられたのかとは聞かない。代わりに扉の向こう、航志が去った方向を一度見てから、「鍵は閉めろ」とだけ言い残した。命令というより確認に近い声だったため、灰乃も反発せず扉を閉める。内部ロックが作動する音を聞いてから、ようやく肩へ残っていた緊張が少しだけ抜けた。

床へ置いた2つの紫箱は、争奪戦の最中に確保したものとは思えないほど静かに光っていた。灰乃は先に取った箱から開封し、紫の粒子が薄暗い室内へ舞い上がるのを見守る。光が消えたあとに残ったのは、掌よりひと回り大きい黒い円盤と小型の操作盤だった。説明を開くと、〈衝撃地雷〉という名称の下へ、設置範囲へ侵入した対象へ強い衝撃波を与えること、所有居室の防衛設備として使用可能であることが表示される。

「当たりね」

威力は感染者を確実に殺せるほどではないが、扉への接近を一度崩せるだけでも価値はある。灰乃はすぐに使わずアイテムスロットへ収め、もう1つの紫箱へ手をかけた。こちらは開封した瞬間に光が弱く、出てきたものも終末の特殊装備とは思えないほど古びていた。木目調の外装へ黒いダイヤルが2つついた、小型の卓上ラジオだった。

スピーカーの布は色褪せ、アンテナの先には細かな錆まで浮いている。灰乃が怪訝に思いながら触れると、ラジオの上へ説明窓が開いた。

〈ご近所互助ラジオ〉

〈ご近所さんが亡くなった際、残されたコインの一部を助け合いの精神で受け取りましょう!〉

さらに詳しい説明には、同一高危険区域で死亡したプレイヤーの未使用コインから一定割合を抽出し、設置者へ互助金として自動分配すると記されていた。死亡者との面識も合意も必要なく、受け取る側が死体へ近づく必要さえない。生きている間に貯め込んだ数字が、本人の死と同時に見知らぬ誰かへ「助け合い」として渡る。軽薄な名称と仕組みの悪辣さがあまりにも噛み合っていなかった。

「趣味が悪い」

灰乃はそう呟きながら、設置確認には〈はい〉を押した。好きか嫌いかと、生き残るために使えるかどうかは別の話だった。ラジオは壁際の棚へ移動し、自動的に電源が入る。砂嵐のような雑音のあと、陽気な女性の声で「本日もご近所仲良く助け合いましょう」と流れ、灰乃は眉を寄せた。

午前中から続いていた箱の争奪は、昼に近づくほど激しくなった。扉越しにも怒鳴り声と金属音が聞こえ、時折、短い銃声が廊下の奥から響いてくる。銃器を手に入れた者が出始めたことで、武器を持たない者が箱へ近づける機会は急速に減っていた。灰乃は外へ出ず、紫箱の取得位置と、世界チャットへ流れてくる死亡報告を照らし合わせながら次の行動を考えていた。

ラジオが突然、玩具のように明るい音を鳴らした。

〈プレイヤーD-441死亡〉

〈互助金32コインを受領しました〉

棚の上のラジオから硬貨が転がるような効果音まで続き、残高が32増えた。灰乃が表示を見つめている間にも、遠くで再び銃声が鳴った。数十秒後、また同じ音楽が流れる。

〈互助金81コインを受領しました〉

その次は47コインだった。誰が死んだのか、どうやって死んだのかを灰乃は知らない。部屋から一歩も出ていないのに、廊下の向こうで命が消えるたび、自分の資源だけが増えていく。胸の奥へ薄い不快感が残ったが、受領拒否の機能はなく、ラジオを撤去する選択肢には指が向かなかった。

死者を悼める余裕がある人間から先に、安全を失う世界だった。灰乃自身、誰かの死を望んでいるわけではない。それでも他人が死んだ結果として手元へ来たコインを捨てれば、その死が戻るわけでもなかった。だったら使う。そう決めて残高を確認し、居室強化へ必要な数字に届いたところでLEVEL4への昇格を選択した。

室内全体が低く震え、扉周辺の金属が一段厚く組み替えられた。壁の一部が奥へ引き込まれ、代わりに4枚の監視画面が並んで現れる。天井近くにも小型カメラが生成され、扉前だけではなく、左右の廊下と連絡通路まで視界に収められるようになった。〈監視機能を解放しました〉という通知の下へ、録画保存時間と死角警告の設定が追加される。

灰乃が画面を切り替えると、外の惨状が音より鮮明に映った。赤箱を抱えて逃げる男を3人が追い、そのうち1人が背後から殴られて床へ倒れる。倒れた者の腰から別の人間がナイフを抜き取り、まだ息があることを確認するより先に自分の鞄へ入れた。別の画面では女が死体の靴を脱がせ、水筒と防護具を剥ぎ取っている。箱を得るために人が殺され、殺された人間自身も次の資源へ変わる光景は、感染者に襲われるより人間らしい分だけ嫌な生々しさがあった。

監視画面の端へ世界チャットの通知が重なった。灰乃が開くと、航志が始めた話題へ新たな書き込みが続いている。その中に網代泉帆の名前を見つけた瞬間、灰乃は内容を読む前から何が書かれるのか予想できた。

〈航志さんの奥さん、家族用の物資まで独占しているみたいです〉

数秒後、続けて文字が流れる。

〈こんな時なんだから助け合えばいいのに〉

〈航志さん、本当に心配していました〉

〈病気があるならなおさら1人で行動するのは危ないと思います〉

強い非難の言葉は一つもない。灰乃を嘘つきとも、冷酷とも直接書かず、「心配」「助け合い」「危険」という誰も否定しにくい言葉だけを並べている。ところが読み手の間ではすぐに、「家族を見捨てた女」「夫の物資を奪った妻」という意味へ変換され始めた。泉帆が終末以前にSNS運用の仕事をしていたことを、灰乃は今さら思い出した。

1周目でも同じだった。灰乃が命懸けで持ち帰った食料を食べ、清潔な水を飲み、衣服を使い、負傷した灰乃のための医療用品まで自分の犬へ使いながら、泉帆は「灰乃さんは家族にもっと優しくした方がいい」と言った。自分が誰より多く受け取っている事実は口にせず、灰乃が差し出す量だけを問題にした。周囲も、弱そうに笑う泉帆と無表情な灰乃を並べれば、どちらが庇われるべきか簡単に決めた。

「変わらないのね」

返事をする相手のいない部屋で呟き、灰乃はチャットを閉じた。腹が立たないわけではないが、泉帆と言葉を重ねることが無意味なのも知っている。正しさを証明するために自分の資源を消耗した1周目とは違い、必要なら誤解されたままで構わなかった。生きていれば、評価など後からいくらでも変わる。死ねば何も残らない。

そのとき、右端の監視画面へ黒い救助用ジャケットが映った。縵谷玄理だった。大型斧は背中側へ固定され、片手には赤箱から得たものらしい黒い長方形のケースを持っている。彼は周囲を警戒しながら灰乃の部屋まで来ると、扉から1歩離れた位置で止まった。

灰乃はインターホンをつないだ。

「今度は落とし物じゃない」

玄理が先に言った。

「何ですか」

「お前の夫が、今夜この部屋を壊すって3人に話してた」

灰乃の視線が自然に監視画面の別区画へ動いた。航志の姿は映っていないが、今朝からの態度を考えれば驚く情報ではなかった。正面から資源を奪えないなら、扉を破る。家族だから開けろという理屈が通用しなくなれば、次は力で入ろうとする。航志がやりそうな順番としては自然だった。

「対価は?」

「ない」

灰乃は数秒黙った。玄理も言い直さない。

「1番信用できない答えですね」

「そうか」

「知らない相手に、理由もなく情報だけ渡す人はいません」

玄理は一度だけ天井を見た。考えるというより、灰乃が納得できる形を探しているようだった。

「じゃあ缶コーヒー1本」

「持ってません」

「ならいい」

本当にそれだけ言い、玄理は身体を廊下の奥へ向けた。値段を吹っかける様子も、恩を売る気配もない。その背中へ、灰乃の視界の端に残っていた金色の攻略表示が急に広がった。

〈限定ミッション発生〉

〈対象と10秒間接触してください〉

〈報酬:局所防御膜〉

灰乃の目が報酬欄で止まった。局所防御膜の詳細を開くと、指定した一か所へ一定時間だけ追加防御値を与えられるとある。航志が今夜この部屋を壊すつもりなら、今まさに必要な装備だった。問題は条件だが、接触としか書いていない。方法の指定も、相手側の同意条件もなかった。

「縵谷さん」

玄理が振り返る。

「何だ」

灰乃は内部ロックを解除して扉を開けた。玄理の眉がわずかに動く。数時間前に航志から暴力を受けたばかりの女が、ほとんど知らない男に対して自分から扉を開ければ、警戒するのが普通だった。

「手を貸してください」

「何に」

「手です」

玄理が黙った。灰乃は返事を待つ時間さえ惜しく、彼の右手首を取って掌を握る。厚い掌には斧を扱った硬さがあり、指の付け根には古い傷がいくつも重なっていた。突然握られた玄理の手は一瞬だけ強張ったものの、振り払われることはなかった。

攻略画面の数字が10から減り始める。灰乃は玄理ではなくカウントを見ていた。9、8、7と進む間、玄理は何も言わない。5秒を切ったところで、彼の視線がつながれた手から灰乃の顔へ移った。

残り1秒が消える。

〈条件達成〉

〈局所防御膜を獲得しました〉

灰乃はすぐに手を離した。

「ありがとうございました」

玄理はその場に残ったまま、自分の右手を一度見た。握られていた場所に何か残っているか確かめるような仕草だった。

「……今のは?」

「防御装備が手に入りました」

「説明になってない」

「必要な条件だったので」

「何の条件だ」

灰乃が答えようとしたところで、廊下全体へ大きな通知音が響いた。世界チャットの管理欄へ〈虚偽情報による死亡誘導行為を確認しました〉という警告が表示され、直後に複数の記録が公開される。泉帆が匿名設定を利用して「北側補助通路に無人の赤箱がある」と流した情報、その位置へ向かったプレイヤーたちが待ち伏せに遭った映像、さらに待ち伏せ側の1人と泉帆が事前にやり取りしていたログまで並んでいた。

生存者の反応は早かった。監視画面の一つで、人の流れが急に同じ方向へ動き始める。泉帆は中央通路の壁際へ追い詰められ、栗色の髪を乱しながら何度も首を振っていた。彼女の周囲には武器を持った5人以上が集まり、その中には虚偽情報で仲間を失ったらしい男もいた。

「違うの、私、そんなつもりじゃなかった。聞いた情報を共有しただけで……」

声は監視マイクにも届いていた。泉帆は自分を囲む者ではなく、その向こうに立つ航志へ顔を向ける。航志は数歩離れた場所で足を止めていた。腰には武器があり、走れば届く距離だった。

「航志、助けて」

泉帆が手を伸ばした。終末開始日に灰乃のカーディガンを羽織り、航志の背中へ隠れていた女と同じ声だった。航志は動かなかった。周囲の人数と武器を見て、自分が割って入った場合の損失を測っているのが、画面越しでも分かった。

灰乃は玄理が隣にいることを忘れたように監視画面を見つめた。航志は誰かを愛しているから守るのではない。守っても自分が損をしない間だけ、その人間を庇う。1周目に灰乃が鉄扉の外へ残されたときと同じ計算が、今度は泉帆へ向けられていた。

乾いた銃声が1発響いた。

泉帆の身体が後ろへ揺れ、壁へ肩をぶつけてから床へ崩れた。航志がわずかに身を引く。誰かが悲鳴を上げたが、撃った男は銃口を下げず、周囲もすぐには近づかなかった。数秒後、システム表示が機械的に開く。

〈プレイヤー網代泉帆・死亡〉

同時に、灰乃の部屋から場違いなほど明るい音楽が流れた。棚の上に置いた〈ご近所互助ラジオ〉が、祝福でもするような軽快さで鳴っている。

〈ご近所互助金を受領しました!〉

灰乃は増えた数字を見たまま、1周目のある夜を思い出した。自分の腕から血が滴り、裂けた傷の縁が熱を持っていた。命懸けで持ち帰った医療ボックスを開けた泉帆は、消毒薬を犬の足へ吹きつけ、新品のガーゼを何重にも巻いていた。

「全部使わないで。私の腕にも残して」

そう頼んだ灰乃へ、泉帆は犬を胸へ抱き上げた。

「この子は自分で痛いって言えないんだよ?」

隣では登志江が困ったように眉を下げ、航志は止めもしなかった。灰乃の腕から床へ血が落ちていても、泉帆の犬の小さな傷の方が優先された。灰乃自身が集めた薬だったのに、それを自分のために使わせてほしいと頼む側に立たされていた。

現在の画面では、泉帆の死亡表示がすでに灰色へ変わっている。その下で、互助金として移されたコインが灰乃の残高へ加算された。泉帆が死んでも、奪われた水も、薬も、傷ついた腕も戻らない。それでも1周目に灰乃の命を削って利益を得ていた女の死が、今度は灰乃の居室を強化するための数字へ変わった。

玄理が監視画面から灰乃へ視線を移した。何を考えているのか尋ねることはなく、泉帆が死んだことを喜べとも悲しめとも言わない。その沈黙がありがたかった。灰乃はラジオの明るい音楽が止まるまで画面を見つめ、それから局所防御膜を扉周辺へ設定した。

午後6時を示す数字が赤へ変わった。

高い天井に並んでいた白い照明が、奥から順番に消えていく。中央区画でまだ死体から装備を回収していた人間たちが慌てて自分の居室へ走り、鉄扉が閉まる音が長い廊下へ次々に響いた。最後の白い光が消えた瞬間、暗闇の中で低い警報が鳴る。

玄理は自分の部屋へ戻るため、大型斧へ手を掛けた。灰乃も扉の内側へ下がり、閉じる直前に暗い通路の奥を見た。昼間に流れた血の匂いが残った廊下から、人間とは違う足音がいくつも近づいてくる。

〈夜間規則へ移行しました〉

表示が一度消え、赤い文字へ切り替わった。

〈夜狩りを開始します〉

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